私は大学生になる直前の春休み、パチンコ店でアルバイトをすることになった。
自宅から徒歩10分くらいのところで、とても便利なところだった。

仕事の内容はホール係だった。今から50年前のパチンコ店と言えば手打ちである。手打ち式だとどうしても玉が釘に引っかかる。お客さんは、玉が引っかかると台のすぐ右下にあるボタンを押す。そうすると店員がその台へ行き、扉を開いてサービス玉を当たり穴に2個入れるのだ。1回の当たりで出てくる玉の数は、はっきり覚えていないが、1回当たり15~20個?
ただ、今でもよく覚えていることは来店客で勝つ人はほんの一握りであるということだ。私の感覚では10%未満だ。多分5%くらいだったと思う。つまり来店客のほとんどが負けているのだ。それなのになぜ来店する?私には理解できない。

ある日のこと、ホールの中を見回りしていたら玉が1個落ちていた。私は冗談半分で打ってみた。そうしたら入ってしまったのだ。となりの台で打っていた人がたまたまそれを見ていてびっくり、「さすがプロだ」と言う。(本当にマグレで偶然の出来事)「この玉どうぞ」と出た玉を全部その人にあげました。
私は68年間の人生で、パチンコを打ったのはその時の一度一回だけです。

そのお店はどのくらいの台数だったかはよく覚えていないが、一か月に二度ほど深夜、釘師が来て釘の打ち換えをしていたようです。別室にはすべての台のカウンターが設置されていて何発打って何発出たかというのが一目でわかるようになっていました。50年前のこと、恐らく当時は税務署のチェックもそれほどきちんとしたものではなかったと思われます。世の中には、こんなぼろ儲けの商売があるんだと思いました。

お店の店長さん従業員の人たち、みなさんとても気さくでいい人ばかりでした。私にとっては、いい職場でした。ただちょっと残念だったのは昼食です。ご飯とたくあんは食べ放題ですが、おかずはいつも一品のみ。コロッケ1個とか丸ぼし2匹とか。私は小魚が苦手なのでちょっとつらかった。でもいつも残さずに食べていました。

お店は名古屋市中村区の西、稲葉地というところに在りました。(現在はなくなっている)当時、中日ドラゴンズの合宿所が近いこともあってドラゴンズの選手も来ていました。私が直接会ったのは大島康徳さんと堂上照さん(堂上直倫選手のお父さん)です。大島選手はさすがにホームラン王を獲るだけあってすごい身体をしていました。特にお尻の筋肉のつきかたは、すごかった。私は大島選手のファンだったこともあり思わず「大島選手ですよね。」と声をかけてしまった。そうしたら返事は「違うよ。」だった。そんなはずないだろ!!(笑)

最近のパチンコ店、いろいろ仕掛けがあって面白そう。しかし私はやらない。

余談だが、今から10年ほど前、私は某衆議院議員の選挙で若い一人の男性と知り合った。(彼は当時32歳)聞くところによると彼は東京の法政大学を卒業後、どこにも就職せずにパチンコで生計を立てていたという。平均月収は30万円。いわゆるパチプロだ。東京でパチンコだけで8年間暮らしていたとのこと。信じられない。これはこれですごい才能だと思う。ちなみに現在の彼は議員秘書だ。

3Kという言葉がある。きつい・きたない・危険。パチンコ店は3Kの職場ではない。難しい仕事は避けたいと考えている人にはお勧めだ。但し一日中立っていなければならないので最初の内は、きついかも知れません。しかしその内慣れます。
職場というものは人間関係に恵まれることが一番大事だ。いい人たちばかりだと仕事も楽しくできるし長続きする。
一か月ほどだったが、パチンコ店の勤務は良い思い出として今も心に残っている。