私は平成15年から平成17年にかけて地元の運送会社に勤務をしていた。スギ薬局の荷物を運んでいた。給料は額面で30万円、休みは月に6日だ。私はその仕事の前は音響会社を20年間経営をしてきており、4トントラックで機材を運ぶことを仕事にしていたので抵抗なく仕事に入れた。
当初は名古屋市中村区の会社に出勤をし、春日井市の配送センターに荷物を積みに行き、西尾市、蒲郡市などにに配達に行っていた。そして岐阜県の店舗、次に一宮市を中心とした尾張地区。郊外の店舗はいずれも駐車場も広くてお店の倉庫の前には容易にとめることができた。毎日全くストレスを感じないラクちんな仕事だった。早い時などは通勤から帰宅まで6時間程度で終わる時もあったりした。当時、同僚の運転手ともよく話ていたことだが「こんな程度の仕事でこんなにお金をもらっていいんだろうか。」そんなことを言っていた。
運送屋さんの仕事というものは荷物を軒先まで運ぶことだ。それ以上はする必要ない。しかし私は、お店の倉庫の中へ運び商品ごとにきちんと並べるようにしていた。ある日、岐阜県の穂積店の店長に、「あんたはいつもきちんとした仕事をしてくれるね。ありがとう。」と声をかけてもらった。私はうれしかった。
仕事に就いておよそ2年が経過した頃だった、私は天国から地獄に落ちることになる。つまり配属が替わり名古屋店舗の勤務となったのだ。配送センターは名古屋市南区になり、積み込みは一日に2回となった。(これまでは1回)名古屋店舗はほとんどが駐車場が狭く、倉庫の前にはお客さんの車がとまっていることが多く、作業がなかなか進められない。やむなく路上駐車をして台車で何回か運ぶというケースが多くなった。配送センターに帰って2回目の積み込みに行くと「何やってんだ。遅いじゃないか!」とどなられることもしばしば。私としては事故を起こさないよう慎重に仕事を進めていたのだが。「これはもうだめだ」と思いやめることにした。

運送業というと佐川急便の名前を思い浮かべる人も多いだろう。当時、佐川の運転手で月に100万円を稼ぐという人はそう珍しくないと言われていた。朝から晩まで、土日祝日も働けばそのくらいは稼げるのだろう。しかし平成17年の法改正により運転手の労働時間には制限がかけられることになった。現在、佐川の運転手は最大で40万円程度だそうだ。
つい最近、佐川で宅配便の仕事をしているという人に話を聞いたが、荷物を1個運ぶと報酬は170円だそうだ。

若い人で将来、起業をしたい、まとまったお金を稼ぎたい。そんな人にはトラック運転手はお勧めかも。但し、仕事はきついです。